レファレンス事例データベース検索
■詳細情報 検索ページへ戻る | トップページへ戻る

質問内容 井伊直弼の略歴を知りたい。

回答 回答 『滋賀県百科事典』によりますと、略歴は「1815~60、彦根藩第13代藩主、大老。11代藩主井伊直中の14男として槻御殿に生まれる。幼名鉄三郎、17歳のとき300俵の捨扶持を給せられて城東尾末町公舎にうつる。自らを花の咲かない埋木に擬して家を埋木廼舎(うもれきのや)と号する。32歳で兄直亮(なおあき)の嗣子となり江戸に下る。1850年(嘉永3)兄の死により彦根35万石の藩主になる。埋木廼舎生活15年間は国学とくに和歌、禅、真宗、武芸は槍術、居相道、茶道、華道などの修行に精魂をこめ、それぞれの奥義に安住せんとした。和歌集『柳の志豆久』『古学問答録』自筆写本『源氏物語』『伊勢物語』などがある。(中略)21歳で師の許をえて新心流居相術の一派を樹てている。茶は石州流をまなんだが、流祖片桐宗関、茶祖利休までさかのぼって源流をたずね、石州流のなかで独自の一派をひらく、自著『茶湯一会集』の序文の「一期一会(いちごいちえ)」の言葉は有名。(中略)『一会集』の完成は、1858年(安政5)4月家格により大老に任命される直前であったらしい。大老に就任してからは日米修好通商条約調印にあたり米国領事ハリスに3カ月の延期を命じ、そのあいだに勅許をえて諸大名の意思を統一しようとしたが、英仏連合艦隊の来援の報に接し、ついに勅許をえられぬまま1858年(安政5)6月19日日米修好通商条約に調印した。内政の最大関心事将軍継嗣には、水戸の徳川斎昭らが押す一橋慶喜をしりぞけて紀州より慶福(よしとみ)(後の家茂)をむかえた。この内政・外交措置は尊皇攘夷派をうごかし、同年8月、倒幕の密勅が水戸藩にくだった。これにたいし、直弼は尊王攘夷派の諸大名・公卿・武士などを弾圧する安政の大獄をおこした。そのため翌1860年(万延元)3月3日攘夷派浪士のため桜田門外で襲撃され殺された。46歳。(末松 修)」とあります。
備考 備考は登録されていません。
照会先 照会先は登録されていません。
関連サイト 関連サイトは登録されていません。
キーワード 井伊直弼;大名;彦根藩;大老;日米修好通商条約;安政の大獄;桜田門外の変;茶道;武道;居相道

 book  照会した資料は13件です。 (滋賀県立図書館蔵書)
資料番号 書名 著者名 出版社 出版年 請求記号 ページ
1 124320045 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.25
2 120781414 世界の平和を謀る井伊大老とハリス 北村壽四郎∥著 近江人協会 1934年 S-2851- 34
3 123800351 彦根藩主井伊直弼の生涯 末松修∥著 滋賀銀行業務部∥編 滋賀銀行 1959年 5-2851- 59
4 120940895 井伊大老 矢部寛一∥著 彦根史談会 1964年 S-2851- 65
5 123935496 井伊直弼 彦根城博物館∥編集 彦根城博物館 1990年 S-2851- 90
6 120970595 井伊直弼 吉田常吉∥著 吉川弘文館 1985年 S-2851- 85
7 120783113 青年首相井伊大老の政治と日米外交 矢部寛一∥著 大光社 1953年 S-2851- 53
8 141163808 幕末維新の個性 6 母利美和∥著 吉川弘文館 2006年 S-2851- 06
9 124520305 安政の大獄 吉田常吉∥著 吉川弘文館 1991年 S-2551- 91
10 128876802 安政の大獄 松岡英夫∥著 中央公論新社 2001年 S-2551- 01
11 123073470 図説滋賀県の歴史 木村至宏∥責任編集 河出書房新社 1987年 S-2100- 87 p.246-249,255
12 127200780 滋賀県の歴史 畑中誠治∥[ほか]著 山川出版社 1997年 S-2100- 97 p.271
13 141205468 近江の先覚 第3集 滋賀県教育会∥編集 滋賀県教育会 2006年 S-2800-3 p.93-95